インド旅行記

時期 2008年4月28日〜5月5日(6泊7日)

持ち物

持ち物 備考
ビザ 事前に業者にお願いした。パスポートを郵送するのは不安だったが問題なく取得できた。
パスポート
帽子 暑い日差しを避けるため必須。
長袖Tシャツx2枚 日焼けしないように長袖
長袖ポロシャツ
コッパン
半ズボン
クロックスサンダル 軽くて良い。牛のふんを踏んでもすぐに洗える。でも靴ずれができた。
インスタントカメラ インド人に写真を撮ってもらう用。万が一盗まれてもOK。
デジタルカメラ
虫除けジェル あんまり虫はいませんでした。
虫除けベープ
日焼け止め
ペットボトル インドのペットボトルはやわらかい。日本のものを持っていこう。
タオル
トイレットペーパー インディアンスタイルのトイレにはすぐに慣れたのであまり使わなかった。鼻水用に主に使用。
薄手のウィンドブレーカー 飛行機の中で着る。
ショルダーバック
かぎ
折りたたみ傘 (日よけ) まったく使わなかった。不要です。
パスポート入れ
ランタン
歯磨き
地球の歩き方 必須です。
電子辞書 使う必要なし。不要でした。
VISA
パスポートのコピー(レンタルサイクル用) レンタルサイクルの店は見つかりませんでした。
正露丸
お菓子 キットカットやスニッカーズは解けて食べられなかった。失敗。

必要だと思ったもの
コンパス

お金

両替 $ 万円 R
USドル 200 2
T/C 200 2
T/C1$=39.89R 400 4 約16,000R
1
合計 9


1日目(4/28)
11:30成田出発。
17:30ニューデリー空港着
空港で列車予約ができるとのことだったが、受付場所がわからずとりあえず駅に行くことにした。
空港からプリペイドタクシーでニューデリー駅に向かう(220R)
所要時間50分。10回くらいエンストを起こすぼろ車で渋滞の中、道路の真ん中で度々停止した。
運転も非常に荒く、クラクションを100回くらい鳴らしながら車の間を縫うように進む。まるでカーチェイスだ。
交通事故に会わないことを心より祈る。
なんとか無事にニューデリー駅に着く。すごい人の多さだ。人でごった返している。しかも観光客は少なく。全くアジア人を見かけない。
どこで列車予約をするかもわからない。外国人専用窓口があるはずだが・・・。
駅の構内に入ろうとするとあやしいインド人のおっさんに邪魔されて入れない。電車は満席なので旅行会社でしか
手に入らないと話している。確かに事前に自分でオンラインで調べてたときも満席だったのであやしいとわかりながらも
旅行会社へ行く。インターネットでチケットが取れないことを告げられる。長居は無用と高額ツアーを組まされる前に退散する。
再度、駅に行き駅の外国人専用窓口に進むがさきほどの男が邪魔して入れない。
作戦を練るため、腰を下ろすと無数のインド人が寄ってきて考える時間を与えてくれない。
地球の歩き方を開くと旅行初心者であることがばれるので堂々と見ることもできない。
サングラスをかけ、動揺を悟られないようにしてして話しかけてくるインド人に対して無視を決め込む。
次第にインド人もヒートアップしてきて,地球の歩き方を獲られたり、小石を投げられたり、小突かれたりと身の危険を感じる。
不安な気持ちでいっぱいとなり、早くもインドの洗礼を受ける。
外国人専用窓口が開いている20:00を過ぎてしまったので、予定を変更してニューデリーに宿泊することにした。
何人もの勧誘を無視して、地図を片手に何度も通りを往復しながら、あらかじめ調べておいた
ホテル(コテージ・イエス・プリーズ)に辿り着く。
さすがインド。一筋縄に行かない・・・。ホテルでリスケジュールして就寝。




2日目(4/29)
チャイを飲み、ジャレヒー(激甘揚げドーナツ)食べ、再び列車チケットgetのリベンジへ。
しかし今日もインド親父に追い返され、オートリクシャー(インドのタクシー)に乗せられ、あやしい旅行会社へ
バラナシ行きのチケットはないのでアーグラ経由でバラナシへ向かうことを提案される。
ふざけるなと旅行会社を後にする。
インド人にいいようにだまされたことが悔しい。
自力でチケットを取ることが目標だったが、いつまでたってもバラナシへ行けないので、
先日泊まったホテルに併設している旅行会社のシゲタさんに列車のチケットを取ってもらう。
簡単に予約が取れ、バラナシ行きの寝台列車の予約を取る。17:00にチケットを受け取ることになったので
デリー観光へ。インド門に観光へ。それにしてもアジア人の観光客を見かけない。ブームは過ぎ去った?
地下鉄に乗って、インドのスーパーマーケット、Big Bazalへ行く。
個人商店が主のインドだが、ここ数年の発展により、中流階級が台頭しており、インドにもスーパーマーケットが
できるようになったらしい。是非ともこの目で見たかった場所だ。
Big Bazalは食料品、家電、衣服、台所用品と一通りのものは揃う。
その一方、インドの貧しさにも直面した。がりがりに痩せた子供。多くの浮浪者。道端で裸ですわる赤ん坊など、
ここは難民キャンプかと思った。
チケットを受け取るが、席が決まっておらず、予約待ちの状態のチケットだった。
自分の席があるかどうかはわからなかったが、えいやで適当な席に座る。
予想通り、鉄道員に席が違うことを指摘され、正しい席に案内される。
ベットが可動式だったため、2段ベットと3段ベットの車両の区別がつかず、
自分の席がわからなかった。
隣の席は家族連れでインドの子供がかわいい。
列車内は頻繁に売り子が通り、食料に不自由しない。
「チャーイ、チャーイ」の呼び声が耳心地良い。
寝台列車は3段ベットだったが、寝心地は良かった。
携帯電話が意外に普及していた。


3日目(4/30)
インドの列車では車内放送がないため、うっかりしていると乗り過ごしてしまう。
親切なインド人家族に教えてもらい、無事にバラナシへ到着する。

オートリクシャーでホテルに向かおうとするも次から次へ他のホテルへの
勧誘が来て、一向に発進しない。いいかげんうんざりしてきたので、インド人を
怒鳴りつけて発進させた。オートリクシャーの値切れた。
インド人の扱いも次第にわかってきた。
バラナシで有名な沈没宿、「久美子ハウス」へ無事到着。
やさしいふくよかなおばさんだった。

バラナシの待ちを散策。地元の老舗「ケサリ」が見つからず、近寄ってきたインド人に
尋ねる。店の場所を案内してくれたが、何と一緒についてきて、昼飯を食べている間、
ずっと会話していた。会話はそれなりに楽しかった。
地球の歩き方に自分の店が掲載されていることを自慢していた。
ここのターリー(カレー定食)はおいしかった。インディアンスタイルで食べる。
そういえばインドで初めてカレーを食べる。
聞いてみれば、その男は同い年だった。お約束どおり彼の店へ行き、シルクスカーフを買う。
ガイド料と考えれば安いものだ。
地元の子供に頼んで、ガンジス川での水泳の写真を撮ってもらう。
久美子ハウスでの夕食は宿泊者全員で食べる形式なので、おしゃべりができて楽しい。
日本人と韓国人、フランス人が泊まっていた。
うわさの沈没者やジャンキーも見ることができた。
沈没者はシタールやターブラーを習っている人が多かった。
地元の子供にガイドを頼んで毎日行われる、プージャーを見に行く。
祈りをささげる人々、宗教的な音楽、川辺に浮かぶキャンドル、たいまつ、幻想的で
見ごたえがあった。


4日目(5/1)
早朝に起きてガンジス川のほとりを散歩する。
日本のラジオ体操のように、笑いヨガをする子供たちが100人くらいいた。
ボートから見る朝日はきれいだった。
街を散策する。気温45度なので休み休み観光する。
ブッダが初めて説法をしたサルナートへ行く。
静かな庭園で気持ちが良い。芝生がきれいで思わず大の字になって寝る。

久美子ハウスでの旅の上級者の話はおもしろい。何ヶ月もかけて世界中を
旅行しているとのことだ。うらやましい。
夜はみんなと一緒に屋上で寝る。
夜は涼しくて気持ち良い。



5日目(5/2)
体調を少し崩す。のどをやられて声がでない。
不思議と気分は良い。すこしハイテンションだ。
ガンジス川の火葬場を見に行く。ヒンズー教徒にとって
死んでから灰をガンジス川へ流されることは至高のことらしい。
人が焼かれる様はグロテスクだ。
自称ホスピス職員のインド人が金をせびってくるので、ゆっくり眺めることもできない。

川のほとりでただガンジス川じっと見つめる。
不思議に人がよってこず、インドに来てはじめて落ち着いた気分で川を眺めることができた。
クリケットに興じる子供がをかし。

アーグラー行きの寝台列車に乗り、バラナシを後にする。
車内で隣り合わせたおばさんと会話が弾む。日本へ行ったことがあるそうだ。
夕食は車内食を食べる。ものすごく辛いカレーだ。
辛いの好きだから問題ないが、デフォルトでこの辛さとはびっくりだ。



6日目(5/3)
インドスタイルのトイレにも慣れた。手動ウォシュレットである。
車窓から見るインドの景色は興味深い。木より高い建物は見つからない。
ごみがそこらじゅうに落ちていて汚い。
インドの文化ではあるが、畑で用をたす人が点在している様子はウケてしまう。

新聞を読みつつ、チャイを飲む。インドの生活に甘いチャイは欠かせない。
列車は3時間遅れでアーグラーに着く。
タージマハル、アーグラー城を観光する。
アーグラーの帰りはサイクルリキシャーで帰るが、運転手が70歳のおじいちゃんだった。
途中で運転を代わり、おじいさんを乗せて自転車をこぐ。
お金を払って自分で運転するとは我ながらクレイジーだ。
ホテルの屋上からタージマハルを見ながら夕食を食べる。


7日目(5/4)
6:00発のニューデリー行きの列車に乗る。
政府公認の店に行こうとオートリクシャーを頼むが偽の店に案内される。
彼らは観光客を案内するだけで店からお金をもらえるのである。
一日目のデリー散策で土地勘は掴んでいたので、偽の店とすぐにわかる。
日本人旅行者がバカにされており、怒鳴りつけてやったが、その店は休みと
言い張り、再度違う店へ行くのでその途中下車する。
行き先をお店から近くのマクドナルドに変更したらすんなり辿り着けた。
政府公認の店は一切値切りできないが、ある程度適正な価格でものも
確かなものなので、安心して買い物をすることができた。

ニューデリー空港へ向かう際に日本人の弁護士の夫婦と同席となる。
色々親切にしてもらい、会話を楽しんだ。
飛行機内で咳が止まらなくなる。隣の席のOLさんが心配して薬をくれる。
得たいの知れない薬でためらったが、薬を飲むとうそのように咳が止まり、
ぐっすり眠れた。ありがとうございます。

登山用の45Lのリュックを背負ってあちこち回るのが楽しかった。
インド人との触れ合いが楽しい。言葉が通じるのが楽しい。
屋台やレストランで食べるものがうまい。
いいやつばかりじゃないけど、わるいやつばかりでもない。
インドに比べれば他のアジアの国への観光はそれほど難しいものではないとのことだ。
とにかくインドは人が多くて、空気は汚くて、うるさい街でデリーでは詐欺師ばっかりだが、
エキサイティングである。総括するととても楽しい旅であった。
インドに栄光あれ。

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